ストレスを解消するなら「消費」より「生産」なのでは

仕事で非常にストレスが溜まる出来事があり、相当イライラしていた。

家に帰ってからもそのストレスが全然消えなかった。

しかし、その日のうちに(日付はまたいたが)かなり解消できた。その気づきを書いておきたいと思う。

 

前回の記事にも書いたのだが、書く力を培いたいと思い、多くのメリットがあると感じた「Amazonレビュー」を最近書き始めた。

 

hayato-growth.hatenablog.com

 

 

その日はまだ書いていなかったので、帰ってから「Amazonレビュー」を1つ書こうと思い、とある商品のレビューを書いて投稿した。

書き終わってみると、それまでほどイライラしていない自分に気がついた。

 

なぜなのか考えてみた。

おそらく「文章を書く」というアウトプットに頭をかなり使っていたからなのではと思う。

もちろん、「時間がある程度経って気持ちが落ち着いた」「あまり慣れていないこと(文章を書く)をやっていたことで集中力が必要だった」というのもあるだろう。

しかしここで言いたいのは「アウトプットする」ということが頭を使う重要な作業だった、ということだ。

 

この時に思い出した本がある。「東大集中力」という本だ。

その中で、考えてみれば「確かに!」と納得したが衝撃の受けた部分がある。

 

アウトプットするというのは、自分の頭を使わなければ絶対にできない行為です。

例えば「何か文章を書いてください!」と言われて、無意識で何も考えずにかける人はほとんどいないと思います。

「何を書こうかな?」「どういう構成で書こうかな?」「参考文献になる文章を最近読んだりしたかな?」と、ある程度何かを考えなければ絶対に文字にはならないはずです。

 

逆にいうなら、インプットというのは実は何も考えていなくてもできます。

 

「東大集中力」より引用

 

 

そう、「実はインプットは何も考えなくてもできてしまう」のだ。

確かに、アウトプットは頭のリソース、集中力をしっかりと割かないと形にならないが、インプットの代表的行為である「読む」「聞く」などは、集中力をわざわざ割いたりしなくてもできてしまう。別のことを考えたりしながらでもできてしまうだろう。

 

この「消費」を「インプット」、「生産」を「アウトプット」と言い換えても良いのではと思う。

例えば消費の場合、「好きなものを食べる」「YouTubeで動画を見る」などはわかりやすい例だが、これらは他のことを考えながらでもできてしまう。

つまり、イライラした出来事を思い出す、または入り込んできてしまう隙ができてしまうことでもある。

特に、マイナスの感情がプラスの感情より強い時はなおさらだ。

なので、プラスの感情(好きなものを食べた喜び、楽しい動画を見た時の楽しさ)を楽しむつもりが、ストレスを思い出してイライラしてしまったりする。

実際、これら(消費)を通してストレス解消したこともあるのかもしれないが、度々思い出してイライラすることのほうが多かったように思う。

 

それに対し生産の場合、今回の「Amazonレビューを書く」は書く内容を考える必要があった。参考になるものを調べて、それをどのように形にしようか考えたりもするので、そこに頭のリソース、集中力を割く必要がある。そのおかげで元々のストレスからちゃんと離れることができたのだと思う。